全てはとらえ方次第|劣等感と決別するために

近況

今日は完全に日記モードで更新します。要は、書くことが見つからなかったのですね(^_^;)

毎日更新することを自分に課すようにしてから、こうしてブログの更新に手を付けることは日常のものになって来ました。続けることが正義です。いいことだ。

しかし最近はプライベート(まぁ大学卒業後の進路を決めるアレですよ)で忙しい、といいますか精神的なエネルギーを使い果たしていて、なかなかストレスフルな日々です。

さて、このままテーマもなくつらつらと書くのも良くないので、今日は「全てはとらえ方次第である」でいきましょうか。

優越感、劣等感

人間、生きていれば誰かと関係して生きていくし、誰かとの関係の中で客観的に自分を誰かと比較してみたりするもの。

その客観的な比較が、時に優越感や劣等感を生み出すことになる。あるときは人と比べて優位だと感じ、優越感に浸り、ある時は逆に劣等感を感じる。

たいてい、優越感を感じる時というのは自分に有利なことしかないので表面上なにも問題は生じない。問題なのは、劣等感(羨望感)を感じるときだ。

劣等感への対処

さて、厄介な劣等感という感情。この感情はおそらくどんな人にも存在しうるものだと思う。たとえどんなに成績優秀な人でも、違う側面、例えば運動能力に関しては劣等感を感じるかもしれないし、その逆もある。

では人間は、一生この劣等感に苛まれないといけないのだろうか。

受け入れる、認める

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photo credit: © Ahmed Amir via photopin cc

人間は急激に性格を変えられるものでもない。話すのが苦手な人が、急にマシンガントークできるようになるわけがない。だから、まずは話下手であることを受け入れる。ありのままを認めることが必要。

このステップなしにはいつまで経っても劣等感は収まらない。それは当然のことで、自分が思い描く理想、たとえば「誰にでも別け隔てなくポンポンと気軽に話ができる」という人物像は、自分にはないもの、自分が持ち得ない特性だから。

この手の理想というのは、「無いものねだり」でしかないのだと思う。

逆に誰にでも何でも話せるひとからしたら、慎重に、ゆっくり、丁寧にはなす人のほうが誠実さが伝わり、信用されるのではないか、自分は信用されないのではないか、という危機感、劣等感を感じることもあるかもしれない。

全てはとらえ方次第である

当たり障りのないことになってしまうけれど、全ては捉え方次第である。と最近は思う。あるがままの自分を認めて、自分の得意とするところ、不得意とするところを把握して生きていれば、劣等であるとか優越という尺度ではない別の価値観を持って生きていけそうだ。

このテストで点がとれなかったから俺はだめだ、この企画を上手く進められなかったから私はダメだ、という短絡的な考えは捨てるほうがいい。もっと広い視野で、自分という人間ができること、なすべきことを見つめることが、本当に価値ある行為であり、幸せに生きる上で必須になってくると思う。

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