【就職活動】「企業が求める人材像」が生む悲劇|ミスマッチを誘発する就活の建前

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就活=就職活動

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シュウカツ。就職活動。主に新卒採用のこと。今日は、上の記事を見て、就職活動について個人的に思うところがあったので意見を述べることにした。

今日の主題

就活の時期になると企業がこぞって提示する「求める人材像」という項目。「何事にも挑戦する気持ち」「情熱」「やる気」「元気」「コミュニケーション能力」。。。。
多くの企業が似たような、たまに、あまりに個性的すぎる「求める人材」を表明する。これに戸惑う人は多いし、私自身もかなり困惑した。

今日は、このように誇らしげにうたわれる「求める人材」が、実は本当に企業が求める人材ではないことがあり、学生と企業のミスマッチを生んでしまう可能性について指摘したい。

学生と企業の間の前提

ここで前提として考えたいのは、就職活動が、

「学生が自分に合う企業を探しまわる活動」であり、
「企業が企業に合う学生を探しまわる活動」であり、
労働力を売り買いする労働市場においてその立場は対等である。

ということだ。

この理想的な前提のもとでは、
例えば、企業Aが「主体性がある人」を求めれば、自称「主体性がある人」は自分が求められていると感じてエントリーし、選考に進む。
そして、「主体性がある人」であることが認められれば、採用される。
実は嘘をついていて「主体性がある人」でなければ、落とされる。

どちらとも対等な立場において、正当に評価がなされ、結果が出る。立場が対等であるという前提を考えると、需要と供給がマッチしているこの形こそが理想の形である。

どちらか片方が、特定のポイントにおいて優位であることは、当然、フェアではない。

企業と学生、両者の歪んだ関係

しかし、現実には、選考過程でその立場は心理的にたいてい、

企業が学生より優位

となる。

なぜなら、企業が「求める人材」として掲げているものは、ある意味において、「嘘」だからだ。

「求める人材」は飾り文句

求める人材は、企業の口先の表現だ。

先ほどの「主体性がある人」の例をもう一度使おう。

例えば「主体性がある人」が企業Aの受ける
もう一人、「主体性がない人」が企業Aを受ける

選考の結果、
「主体性がある人」が”お祈り”され、
「主体性がない人」が採用された。

先ほど考えたロジックが破綻しているけれど、これは、シュウカツにおいて大いに有り得る話だ。

なぜなら、企業は「総合評価」することで採用、不採用を決定するから、だ。そしてその総合評価の基準は本当の意味で学生には明らかにされていない。面接官しか知らない。

かなり曖昧な基準「総合評価」

photo credit: SalFalko via photopin cc

photo credit: SalFalko via photopin cc

総合評価。いったい、どの要素とどの要素を集めて、「総合」なのだろうか?これがシュウカツの最大の落とし穴である。

事実、人間と人間が向き合う面接では、面接する側も、その人が与える印象をもとに総合評価する他に方法はない。結局、面接では「求める人材」で掲げた人物であるかどうか、というより、その場にいる面接官が「この学生はこの会社でやっていけそうだ」とか「雰囲気が合う」とか、ある意味で”運”で結果がでる。

こんなことを言うと、「何十個もチェック項目があるから運ではない」という意見もありうるけれど、人間がそれぞれ異なる感受性を持っており、ある人にとっては受け入れられるものがある人には受け入れられない、ということを考えれば、チェック項目で「◯か☓か」という基準は否定できる。面接官も人間だから、学生との相性も関係してくる。相性は、絶対的なものではない、その面接官と、その学生との相対的なものだ。

だから、面接はある意味で”運”によって結果が決まる。

「求める人材」が学生の本来の姿を隠す

ここで、再び「主体的な人」に登場してもらい、面接の様子をみせてもらおう。

この人は主体的で行動派であることに特化して自己PRを準備してきた。面接でも学生自体に自分がいかに自分の意見をもち、行動してきたかを熱弁した。面接官もしきりにうなずき、和やかに面接は終わった。一週間後に受け取ったメールには”お祈り”が書かれていた。

企業の資料に書いてあることを見ると、実は、この学生は運が悪く「自己主張が激しく自分勝手な人」と捉えられ、当落線上から落っこちてしまった。

これはあくまでも作り話だけれど、こうした企業と学生のミスマッチの可能性は十分にありえると思う。本来の学生の姿が、「求める人材」を提示したが故に捻じ曲げられてしまう可能性がある、と思うのだ。

「求める人材」は真に受けてはいけない

本来、学生を採用する基準は前述のとおり企業側の人から見て「向いているひと、雰囲気があう人、一緒に働きたい人」という曖昧な基準でしかないのに、「求める人材」という建前を作ってしまう。そして一部の学生がそれを真に受けて短い面接の時間内では本来の自分を出せずに不採用になってしまう。哀しいミスマッチが起こりうる。

このように、企業が誇らしげに「求める人材」を語ることは、必ずしも企業と学生のマッチングにおいて有意義であるとは言えない可能性があるのだ。

「求める人材」の建前で本来採用される可能性のある学生を逃すようなら、ホンネで、「一緒に働きたいと思える雰囲気の人」と言ったほうが、シュウカツ生にとっては有意義なのかもしれない。

必死になって「求める人材」になりきる、シュウカツの犠牲者も減ることだろう。

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