世界文化遺産になった富岡製糸場|知ってるようで知らない来歴を調べてみた

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富岡製糸場が世界文化遺産に正式登録

2014年6月21日、群馬県にある富岡製糸場が世界文化遺産に登録されました。去年2013年には富士山が同じく世界文化遺産に選ばれており、2年連続で日本から世界遺産が選ばれました。

カタールの首都ドーハで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第38回世界遺産委員会は21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産への登録を正式決定した。

富岡製糸場、世界遺産に正式決定 近代産業遺産で初  :日本経済新聞
富岡製糸場 …

 

 

日本の近代化に貢献した官営生糸産業

富岡製糸場というと、まず第一印象は「学校の教科書に出てきてたなー」というものですよね。僕もお恥ずかしながら頭の片隅で「ああ、なんか載ってたよね」くらいの認識しか無かったので、ちゃんと調べ直してみました。

富岡製糸場は群馬県富岡市にあります。はい、地図をどうぞ。

1872年(明治5年)に生糸生産の官営模範工場として操業を開始しました。「模範」とありますが、その背景にはちょっとしたエピソードがあるみたい。

江戸時代末期に開国をした際、生糸は日本の主要な輸出品となっていきました。急速に輸出が伸びた背景としては、ヨーロッパの生糸生産地フランスやイタリアで、蚕の病気が流行し、代替として日本の蚕、生糸に需要が殺到したことがあったようです。

時の運で輸出が伸びたはいいけれど、当時日本の生糸は品質が悪く、国際的には評価が悪かったため、これではいかん!と国の采配で最先端フランスの技術を導入し、「模範」としての富岡製糸場を作ったのです。

模範ですから、その後、富岡製糸場で働いていた工女たちが各地で技術を伝え、日本全体の生糸生産の効率化に貢献したことは言うまでもありませんね。

大戦中も操業し続け、操業停止後も良好に保存

当初は官営だった富岡製糸場は、その後1893年に三井家に売却され、その後も幾度か経営母体がかわることになりました。注目すべきは、第2次世界大戦の間も一貫して製糸工場として操業を続けていたことです。1987年に操業を停止するまで100年以上日本の産業を支えたわけです。

そして、最後の所有者であった片倉工業は操業停止後も工場の状態保存に努め、今日の世界文化遺産登録に至りました。

明治維新の頃からバブルの直前まで稼働してきた富岡製糸場は、日本の近代化を物語る貴重な世界文化遺産なのですね。

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