地方のシャッター街のなぜ?を歴史的に紐解く|商店街はなぜ滅びるのか – 新 雅史

「商店街 =伝統ある残すべき対象」は間違い?

photo credit: OiMax via photopin cc

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僕が商店街と聞いて思い浮かべるのは、人通りの少ないアーケード街だったたり、シャッター街だったり、大半は古い昭和の街の衰退の象徴としてのイメージです。

都市圏の商店街のなかにはまだまだ盛況なところもあるでしょうけれど、地方都市の商店街に関しては僕と同じようなイメージを持っている人が大半ではないでしょうか。

たとえば僕が去年2013年の夏に訪れた鹿児島県阿久根市の駅前の商店街は、休日にも関わらずほとんど人の気配はなく、ほとんどシャッター街。長らく買い手がついていないであろう売り地には自民党の安倍首相が自信に満ちた顔で「日本を取りもどす!」というポスターが貼られ、なんて皮肉だ!と思った記憶があります。

昼食をとるために営業している店をやっと見つけたところ、そこはかろうじて近隣のオフィスに弁当を届けるフランチャイズ店でした。レジで支払いをするときに、後ろの壁にまばらに貼られた注文票に書いてある依頼元を見てゾッとした覚えがあります。

そんなこんなで、一応観光という名目で訪れた僕は、唯一見つけたフランチャイズの弁当屋で、数百円の弁当で昼食を済ませたのでした。

ちょっと脱線しましたけれど、このように、商店街というと「古い」「活気がない」でも、「地元を挙げて繋いでいくべき伝統的なもの」とみなされます。

しかし、歴史を紐解いてみると、実は商店街というのはまったく伝統的なものではなく、戦後に現れた新進気鋭で画期的な人工的なものなのです。

戦後の人口増と農業からの人材シフトを受け止めた商店街

photo credit: peter-rabbit via photopin cc

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というのも、商店街は戦後増加した労働者を受け止める大切な受け皿として画期的なものだったのです。

戦後の日本では人口の増加と農業からの人材のシフトで都市には中小零細の商店が溢れていました。しかし、一方では専門店が勢揃いの百貨店が生まれ、農業あがりで素人かつ資本力のない商人には立ち向かう術も無く、廃業に追い込まれるものが続出、雇用は極めて不安定でした。

そこで考えだされたのが「商店街」という概念だったのです。それまでバラバラに商売していた人々を一つの空間に集めることで、「そこにいけば何でも揃う」という街を作り上げたのです。

零細小売店は、手を広げずに専門性を身につけて、それぞれの店が一つの地域に集積すればよい。そうすれば、百貨店と同じように、専門性と利便性を兼ね備えた空間になるはずだ、…

商店街(Shopping street)は横に地を這う百貨店であるとすれば、百貨店(Department store)は縦に空中を聳える商店街である。

政策に振り回される商店街というアイデア

本書ではこうして人工的に作り上げられた商店街のその後の数奇な運命についても書かれています。

国の政策が大企業に勤めるサラリーマンと専業主婦という世帯にフォーカスした政策を打ち出すようになると商店街で自営業を営む人たちは国の政策にとっては少数派となること。

photo credit: ekenitr via photopin cc

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そして、巨大資本への規制緩和によって郊外に大規模なショッピングモールが出来上がり、楽天などの登場でインターネット上にも仮想商店街ができあがり、人々の消費の場は商店街から郊外へ、そして架空の場所へとシフトしていくこと。

これらの流れを通してわかることは、商店街が決して古くから存在する懐古の対象としての存在ではない、ということです。

商店街は時代にあわせて意図的に作り出されたものであり、その当時の雇用を支えた画期的な概念だったのです。

今後の商店街がどうあるべきか、残すべきか、なくなってしかるべきか、という点については本書では深くは触れられていません。

しかし、商店街を単なる懐古の対象としてではなく、時代を反映した象徴として認識することはとても意義のあることだと思います。

時間軸に沿って商店街を理解するのに適した良著です。

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