事務仕事が「デキる」だけで満足するのは非常に危険だと思ったという話

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新入社員はツラいよ

どうも、ご無沙汰しております。気がつけば前回の更新から一ヶ月以上も間が空いてしまいましたね。この間に何があったかと言えば、ちょっとまた二つの観点で環境が変わりまして。

まず僕が入社した会社は7月から新入社員にも残業が許されています(逆にそれまでは守られている)。なので、残業生活に慣れるまで結構必死でした。二つめに、ジョブローテーションの関係で7月から別の部門になりまして、これまた慣れるのに必死でした。というか今も必死であります。

組織が大きいほど仕事、ルールは細分化される

photo credit: lumaxart via photopin cc

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さて、なにをそんなに必死でやっているのか、という話ですけれど、会社には仕事のルールというものがありますよね。

僕の勤める会社は法律も絡んでそのルールが非常にややこしく、細かい。目下のところ、僕はそのマニュアル通りに遂行することに必死になっております。

他の会社のことを知らないのでなんとも言いようがありませんけれど、一般的に組織が大きければ大きいほどルールやマニュアルが細かく存在するとしたら、駆け出しの新入社員は面食らいますね。

それでいて、仕事は基本的にチームプレーですから案件ひとつの仕事量を100としたとして、一人一人の仕事は細かく切り分けられ、結局自分の手元に来る仕事は10/100とかになるわけ。

「デキる」マニュアル労働者は好都合な社畜

さて、そのようにして切り刻まれて原型をとどめていないような仕事をマニュアル通りに遂行していくわけです。今はまだ要領も掴めていないのであって、今後慣れてきたらすこしは効率よく仕事をこなせるようになっていくでしょう。

しかし、僕はそのことに一抹の、いや、二抹、三抹の不安を感じざるを得ません。

なぜなら、今僕がバイブルのように必死にすがっているマニュアルは、あくまでも自分の企業の中でのルールに過ぎず、そのバイブルを一言一句朗読できたとしても、一般的には何の価値も生まないから。

純心な新入社員はちょっと間違ったら、このマニュアル通りに仕事をこなせるようになったことをあたかも自分が「デキる」、「価値ある」と感じてしまいがちですけれど、いずれも一般的には条件付きでしか認識されないでしょう。

「デキる社畜」

もうすこしマイルドに言っても、「効率のいい歯車」でしょう。

客観的、普遍的に価値があるスキルを磨く必要

photo credit: avrene via photopin cc

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その企業がこの先何十年と安定的に存在するという前提であれば、「デキル社畜」「効率のいい歯車」でも問題はないかもしれません。ただ、残念ながらそんなに都合良い時代ではない。

勤める企業が倒産して組織がバラバラになったとき、それまで「効率のいい歯車」だった人たちはどうなるでしょうか。

組織内限定でしか評価されないようなスキルしか持たない歯車は、燃えないゴミに出されてしまう他にないでしょう。

外から見たとしても価値のあるスキルを磨かねばなりません。

目線を一段階あげてみる

日々の仕事に追われていると、どうしても視線が内向きになってしまいがちです。それに、普遍的なスキルをつけねば、とは言ってもやらなければいけない仕事は減らないわけで。

たとえ歯車的にやらなければならない仕事だとしても、前の部品からどんな情報が回ってきているのか、そして自分が動力を伝えている先の部品はどう動いているのか、そして最終的に生み出される価値はどのようなものなのか、について意識しながら取り組むべきでしょう。

自分への戒めとして。

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