現代人にない、強さを描いた作品
この本を購入してから約一年。文庫本の上下巻をまず購入して読み、自分好みの本だったため映画化されたDVDも手に入れて手元にあったのだけれど、今日まで見る機会を逃してしまっていた。今日は満を持して、映画をみたので所感を残すことに。
一年ぶりにサウスバウンドの世界に帰ってきて、豊川悦司の演じる型破りな父親「一郎」が登場すると、男らしい姿で(というか野蛮)本を読んだ時のイメージとピッタリ重なり思わずニヤリとしてしまった。
既存の体制に反抗する強さ
ネタバレしてしまったら面白く無いので、今回は具体的なエピソードにはできるだけ触れず、全体を通して感じたことだけを書くことにする。抽象的になりやすいのだけれど、ご容赦ください。
まずこの作品全体を一言で表そうとするならばどうなるか。不要な言葉を全て排除して最後に残るのは、「自分が正しいと思ったことを貫けよ」というメッセージではないかと感じた。国や法律、義務教育など、多くの人が疑いもなく受け入れてきていることを真っ向から否定し、あくまでも自分の考えが正義だと主張する姿がとても印象的だったのだ。普段から慣習や法律や世間の目を気にして生きている我々からしたら、この無鉄砲な姿は痛快であり、頼もしさすら感じる。
自分の中に正義をもつことの大切さ
父「一郎」はただ頑なに国や権力に従うことを拒否し続けることになる。恐らくそれによって失うモノはかなり大きいのだけれど、本人はケロっとしている。なぜだろう?
私が思うに、父「一郎」は頑なさ故に失くすものと天秤にかけても、決して吊り合わない程の「自分の正義」を持っているのだ。これは誰にも手の届かない心の奥底にまで既に浸透していて、誰がなんと言おうとびくともしない。彼が生きてきた過程で完全に確立されているのだ。だからこそ彼はこの物語の中でほとんどブレていない。
「決してブレない」これは言い換えるとガンコで融通が効かない、ということだけれど、この物語の中においては「ガンコ」という言葉から伝わり得るマイナスの印象は全く感じられず、やはり「痛快」「頼もしい」という感覚で見ることができた。
そのように感じるのは、今の世の中に、そして今の自分の中に、「自分の正義」を確立して一歩も譲らない。というある意味で強さが無くなってきているからかも知れない。もっと言ってしまえば、私たちは社会に適応するため、自分自身によって本来もつべき強さを殺して生きているのかもしれない。
父「一郎」の名言
人間は自分にないものを欲しがるものだ。今回この物語を通して私自身もこの父「一郎」に対して羨望感を感じた。彼にあって自分にないもの、それはつまり、「自分の正義」なのかもしれない。最後に父「一郎」の名言を引用しよう。ちなみにこれは映画版での、子どもたちにむけてのセリフの一部だ。彼らしい、とても説得力のある言葉だったので、これで私の文章も結ぶことにする。
みんな、お父さんを見習うな。お父さんは、極端だからな。
でも、汚い大人になるのだけはやめてくれよ。
違うと思ったらとことん戦え
負けてもいいから、戦え
人と違ってもいい、孤独を恐れるな。
理解者は必ずいる。
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