アメリカを自分の目で見て感じた、資本主義の光と陰

スポンサーリンク

格差大国アメリカ合衆国

さて、アメリカから帰国して一夜明けました。幸い、時差ぼけもひどくなく、無事日本のリズムにあわせられそうです。さて、今回は11日間にわたってアメリカ東海岸、西海岸を旅してきました。
もちろん観光目的ですから、ニューヨークのタイムズスクエア、エンパイア・ステート・ビルディングやロサンゼルスのハリウッド、サンフランシスコの海鮮、ゴールデンゲートブリッジなど、とても楽しむことができました。

しかし、今回の旅で写真に納めたどんな観光資源よりも、どんな奇麗な景色よりも目に焼き付いて離れないのが、いわゆる「治安が悪い」とされる地域に暮らす人々の姿です。

日本ではありえない格差の光景

高層ビルが立ち並ぶロサンゼルスでも、コンパクトな中心街を観光客が練り歩くサンフランシスコでも、観光客が多くいる地域を1、2ブロック離れただけで雰囲気がガラッと変わりました。歩く人の身なりにも驚くほど違いがあります。

治安の悪い地域、つまりは”貧乏人”の住む地域にいる人は、ぼろぼろの服を着て、物乞いをし、貧困ゆえに犯罪に手を染めてしまう。

「治安が悪い」というのはつまり、お金が無くて生活に困るので、犯罪に走ってしまう人が比較的多い、という風に解釈してもいいと思います。

決してその地域に住む人が生まれながらにして悪人なのではなく、お金がないから悪事に走りやすいのでしょう。

これはいわば、資本主義に邁進し経済大国となったアメリカの負の側面、日の当たらない陰の部分ですね。いまでもアメリカは格差がひどい、という認識は教科書的に知っていましたけれど、実際にその現場に立ち会ってみると、かなりショックを受けました。

「これが、世界ナンバーワンのアメリカですか」と。

格差を黙認する資本主義

資本主義経済の仕組みでは、必ず格差が生まれます。2013年、1%の富裕層がアメリカ全体の20%の富を保有しています(アメリカ1%対99%の格差が過去最大に)。

競争がある以上、差が生まれるのは当たり前のことです。しかし、この差の開きは国の政策によってある程度コントロールすることができます。それに値する制度が日本でいうところの生活保護や、社会保険、各種給付の社会保障でしょう。

極端に表現するとしたら、競争に勝利して儲けたひとから徴収した税金の一部を、競争に破れた人に再分配する仕組みですね。そして、さらに言えば、この社会保障がなければ、勝つ人は勝ち続け、負ける人は死ぬまで負けます。

アメリカの経済、政治に精通していないのでかなり主観が混じりますけれど、アメリカはこの「死ぬまで負け組」の人たちの犠牲でもって大国の地位を保っているのだ、と痛感しました。

国をどのように設計するのか

格差の実態を目の当たりにして、アメリカのありかたを完全に否定したくなったかというと、必ずしもそうではありません。なぜなら、たしかに、格差はあるけれど、それを受け入れて、必然的に貧困に陥ってしまう層をある意味で犠牲として切り捨てることによって豊かな国が実現しているのですから。

勝ち組にとってみたら素晴らしい仕組みです。それはそれでありです。しかも、貧乏人はまとめて特定の地域に住まわせておけば、そこに近寄らない限りは目にしなくて済んでしまいますし。ひどいですね。でも、これがアメリカの現実でした。

そんなのひどい、非人道的だ、というのであれば、税金を引き上げて、金持ちからお金をとりあげ、持たざる人々に富の再分配をする必要があります。

これによって確実に格差は縮まります。しかし、同時に大金持ちになりにくくなります。

極端に社会保障を手厚くした北欧諸国では、格差が少なく、安心して暮らせる代わりに経済の発展をある程度あきらめている部分があります。

このように、国の設計図次第で、格差はコントロールできるもの。

国の政策は、極端にいえば、競争でアメリカのような格差を容認して資本主義のうまみを求めて突き進むのか、はたまた北欧諸国のように、贅沢はしなくて良いから安心して暮らせるようにするのか。この両極に分かれると思います。

果たして自分ならどちらが良いのか?

バランスするポイントがあるとしたらどこなのか?

経済学をかじった身としては、アメリカの現状を目にして考えさせられました。

コメント