一世を風靡したSNS、mixiの黄昏
ミクシィ過疎化!SNSのMixiがオワコン!大学生の利用2%に大幅減少 – NAVER まとめ
2004年にサービスを開始し、一時は日本のSNSを独占していたmixiが、早くも黄昏を迎えているようです。たしかに、最近友人、知り合いの間で「mixi」というワードを聞かなくなりました・・・。
なぜmixiは「オワコン」と化したのか
では、なぜmixiは終わったコンテンツ「オワコン」と化したのでしょうか。
- TwitterやFacebookが強すぎた
- 足あと機能の改悪
- 利用者減の負のスパイラル
いろいろな原因があると思います。なかでも僕が注目したいのは、やはりTwitterやFacebookへの引っ越しです。ではこの引っ越しの動機って、どのようなものだったのでしょうか。
「まわりの人がいなくなったから」というのはある程度mixiからの引っ越しが進んでからの理由であって、先陣を切ってTwitteやFacebookの世界に移り住んでいった人たちは何を決め手に脱mixiしたのでしょうか。
おそらく先陣を切っていく人たちは新しいもの好きですから「Twitterなるものがあるという情報を聞きつけて真っ先に登録するでしょう。その人達は「周りの人がmixiに書き込まなくなった」とは別の理由で脱mixiすることになるのですが、それは一体どんな理由なのでしょうか。
「mixiは面倒だ」
僕は、「mixiは面倒だから」だと思います。mixiが全盛期のころ、多くのひとが日記を書き、そしてコメントしあったりイイね!しあったりしていました。日記ですから、ある程度まとまった内容を書くのが普通。
Twitterの世界で一言ボソッとつぶやくことの簡単さにハマってしまった人は、長ったらしい日記を書いてそこにコメントをもらうmixiのスタイルが次第に重たく、面倒に感じるようになったのかもしれません。
こうしてmixiの利用者が減り、他の人達も「最近友達がログインしなくなった」と感じるようになれば過疎化は加速します。現実世界で、田舎から都会へ就職するひとが増えていくのと同じ心理かもしれません。SNSの世界でも、人口が多く、日記やコメントが飛び交うほうへと移住したくなるのでしょう。
流行り廃りの激しいプラットフォーム上に置き去りになる思い出たち
こうしてmixiはSNSをかじった人たちの間での共通認識として「オワコン」の烙印を押されてしまったわけです。ここで問題、というかとても寂しいことがあります。僕達はこれによってあるものを失うことになるのです。
それは、オワコンと化し、さびれて行く運命にあるmixiというプラットフォーム上に残され、置き去りになった日記やつぶやき、そして人間関係です。
これらは物理的に僕らの手元にあるものではありません。もしもmixiがサービス打ち切りを決定すれば、それまで書きためた日記や、アップロードした写真、つぶやき、コメントなどは全て、(多分ワンクリックで)いとも簡単にこの世から抹消されます。
たかが日記、しかもデジタル情報の文字、とはいっても、そこには日記を書いたときの心境や思いが詰まっているわけで、それがmixiと共に「オワコン」になっていくわけです。執着心の薄いひとはそれがどうした?と思うかもしれませんが、少なくとも僕は結構寂しいことだなぁ、と思います。
このことはTwitterやFacebookにも当てはまることで、10年後にFacebookは存在するのかどうかはちょっと怪しいところですよね。二年前に大盛況だったmixiがこういう状態になっているわけですし。
ここから浮かび上がってくるのは、流行り廃りの激しいSNSプラットフォームに依存して「思い出アルバム」「ライフログ」を作ろうとしていることの危うさです。
環境の他者依存が少ない「ブログ」をホームにする強み
このブログを始めてから早いもので半年が過ぎました。毎日欠かさず更新してきましたので、全て見返すわけではありませんが僕の半年間はこのブログに詰まっています。
いつ沈むかわからない船に大事な思い出を乗せていくSNSの代わりとして思いつくのが、この「ブログ」です。しかも、ここではFC2やアメーバなど、ある企業のサービスの上に成り立っているブログシステムではなく、このブログのようにサーバーを借り、僕の場合だと「mase-k.com」というドメイン(住所、または名札とでもいいましょうか)をとって運営しているようなブログを指します。
僕はSNSの代わりにこのブログをホームにしていきたいと思っています。このブログは誰がなんと言おうと、よっぽど犯罪に手を染めることでも無い限り、消されません。
今借りているサーバーが潰れようとも、バックアップさえあれば別のサーバーに移すことで簡単に100%復元することができます。
mixiが「オワコン」の烙印を押されたいま、どこに思い出を構築していくのか、ということを考えなおすのもいいかもしれません。
ま、「ネットに思い出を託すなんてナンセンス!胸のなかにしまっておくものさ!」という極論もありますけどね!
それにSNSには「人と交流する」という重要な、というか本来の役割もあります。交流の場としてのSNSの「ライフログ」的な一面とどう付き合っていくのか、というところを考えてみるのがいいですね。
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